Challenge Stories
~私たちが未来のためにできること~

高等部らしい教育のありたい姿
2023.11.03公開

高等部における探究型カリキュラム教育の実践と課題 vol.04

第4回目は、これまで実践してきた探究型カリキュラム教育の振り返りを経て、あらためて関学高等部ならではの教育とはどのようなものか、そして関西学院高等部としてのありたい姿について、考えや思いを交わしました。また、締めくくりとして今回の座談会での気づきや再認識した志などについて話してもらいました。

  • 高等部教諭(英語科)
    西室 雅央

    関西学院高等部、関西学院大学法学部、英国リーズ大学大学院教育学研究科出身。探究型カリキュラム委員会コンビーナーとして各学年及び全体会議のオーガナイズなどを担当。探究型カリキュラム授業においては現在「AI活用」を担当している。

  • 高等部教諭(地歴公民科)
    徳田 有希子

    関西学院大学文学部、関西学院大学大学院文学研究科出身。探究型カリキュラム授業においては、1年生「グローバル探究BASIC」、2年生「グローバルスタディ」の授業を担当。海外アドバイザーや他校と連携したオンライン国際会議も担当。

  • 高等部教諭(国語科)
    上田 篤志

    関西学院高等部、関西学院大学文学部、関西学院大学大学院文学研究科出身。探究型カリキュラム授業においては、1年生「グローバル探究BASIC」、2年生「AI探究」の授業を担当。2023年度には「アート思考」を立ち上げ、カリキュラムデザインを行った。

  • 高等部教諭(数学科)
    田中 章雅

    関西学院高等部、関西学院大学理学部、関西学院大学大学院理工学研究科出身。探究型カリキュラム授業においては、1年生「ソーシャル探究」、2年生「地域探究」などを担当し、生徒たちの学外での活動も支える。

将来構想「Kwansei Grand Challenge 2039」(KGC2039)の実現には、教職員たちの強いつながりが不可欠です。KGC2039で掲げる長期戦略から抽出したテーマをもとに、部署や業務を横断して語り合う場を創出することで、教職員間の相互理解を促し、想いを共有します。


将来構想「Kwansei Grand Challenge 2039」についてはこちら


今回は、受験にしばられない活きた学びで好奇心を育て探究心に進化させ、大学の学びへとつなげる教育を先進的に展開している関西学院高等部4名の教諭によるトークを4回に分けてお届けします。


高等部における探究型カリキュラム教育の実践と課題 vol.03』はこちら



関学高等部として目指したい姿


徳田 活発で向学心のある生徒たちの目が、授業中に活き活きと輝いてるのが理想のイメージです。高等部の生徒たちは運動部の参加率も高く忙しい生活を送っているので、本当は「学びたい」「面白い」と思っている事柄があるのに、そこに十分にエネルギーを注げていないことがもったいないと思っています。そんな生徒たちが互いの関わりや議論の中で新たな視点に気付き、学内外を問わず仲間や社会など多方面から刺激を受けられる場を提供したいと考えています。それには関学高等部ならではのフットワークの軽さと関西学院のリソースを大いに活かしていきたいですね。


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本校の生徒たちはコミュニケーション能力が高く、授業のまとめや人前でのプレゼンが得意な子が多いです。受験がない分、精神的余裕もあると思うので、日々の授業において「学問の面白さ」を先取りして触れさせることが課題だと思っています。私は社会科教諭なので、歴史を遡り、世界のさまざまな情勢の背景について懐疑的に見ますが、生徒たちは素直な子が多く、疑うことがあまり得意ではないように感じます。社会を疑い、なぜそうなのかと、もっと深く問う力を持って欲しい。単に社交性を活かした表面的に上手な表現者にとどまらず、「深く考え抜いたな」と感じられるような表現者になって欲しいと願っています。


上田 そうですね。生徒が何か一つのことを徹底的に追究して、自分なりのものの見方を習得する経験によって、生涯を通して学び続ける「探究の歯車」を回すことができるようになる教育を目指したい。与えられた問題を解いて正解かどうか評価される世界も、思考力を磨く上で不可欠だと思います。ですが、「問い」そのものを創出する力を身に付けることで、世界市民として活躍の幅を広げられることは言うまでもありません。高等部はそのような力を身に付けさせるための教育活動が展開できるポテンシャルがあると信じています。


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本校の「自由と自治」の校風は良い面である一方で、受験勉強がない分、部活動と学校の勉強だけをやっていたら、実質的には困らないという側面もあります。学校の授業を受けて、ペーパーテストである程度の成績を取れていたら、要領のいい生徒であれば、土日も含めて1日何時間もの自由時間があります。せっかくの自由時間を無駄にしてしまう生徒をひとりでも減らすために、「面白いな、調べてみたいな、課題を自分で発見して解決の道を探したいな」という生徒の興味・関心の最初の歯車を回してやれるような組織でありたいと思っています。自由を奔放にさせるのではなく、自由を、本当の意味で彼らの有意義な学校生活に繋げられるような、そういう仕掛けや仕組み作りが求められていると思いますし、そういう場でないといけないと思います。




関学高等部らしい学び~キリスト教主義という軸~


田中 恐らく探究型教育というものは、20年後には無くなっているのではないでしょうか。それぐらい世の中は変わっていくように思います。私たちが大学生の頃は、大学を出てすぐに就職するのではなく、世界一周などをしてモラトリアムな時間を楽しむことが流行っていましたし、その後にはキャリア教育が流行りましたよね。という風に、どんどん社会は変わっています。伝統ある本校は、変化の中でもスクールモットーである"Mastery for Service"をはじめ、キリスト教主義のミッションスクールとしての大切な教えを守りつつ、新しいことに挑戦していかないといけません。


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探究型教育という手法は変わっていくでしょうが、課題を解決していくことの大切さは変わらないと思います。探究という手法のプロになるのではなく、探究という手法を使って、キリスト教主義などの大切なことをどう教えていくのかが重要なのだと常に意識しています。キリスト教の教えは、聖書の中に全部まとめられており、どの部分を切り取っても、学びのある言葉が出てきます。学校として何を一番大切にするのかを問われた時、「すべて聖書に書いてあります」と答えることもできるのです。


上田 迷った時に道標になるのは、やはりキリスト教の聖書です。例えば戦争も、正義と正義のぶつかり合いなので、どちらが正しいのか結論を出すことは難しいですよね。しかし、戦争に限らず、自分の立場で物事を見た時に「聖書をどう読むか」によって、自分たちがその現象をどう判断していくかのよりどころになっていきます。不易流行の部分でいうと、探究は手法の一つですし、流行の部分ですよね。しかし本校は幸いなことに、キリスト教という不易の部分を持っています。それについては全教員が一つのコンセンサスとしてもっています。


徳田 あれよあれよという間に、時代の価値観は変わるものだと思います。いつ何時、強い風が吹くかも知れず、その際にはどこに立つかを決めなくてはならない。その究極の選択を迫られた時には、やはり建学の理念に立ち返るべきで、本学のキリスト教の理念や価値観を軸としてもっておかないと、強風が吹いたら倒れてしまうと思うのです。自由な校風の学校や優秀な生徒が集まる学校は、他にも無数にあります。その中で高等部が、外部の人から見ても、「これは高等部らしい。これぞ関学の学びだ」と言ってもらえる重要な要素はやはりこの軸にあると思います。言葉にするのは難しいのですが、そのことを常に感じています。


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上田 ミッションスクールにおいては、自分自身は決して大きな存在ではなく、神様に向き合わなければいけない存在なのだという自己省察を促してくれますね。入学当初はキリスト教を全然理解していない生徒も、礼拝の時間などにはおごそかな雰囲気の中で、自分と向き合っています。本校は、ノンクリスチャンの生徒がほとんどの中で、初等部からであれば12年、中学部からで6年、高等部からでも3年間は聖書やキリスト教を学んでから、関西学院大学に入学することになります。そこはやはり大きな部分だと思います。


西室 少し視点が変わりますが、先日、業務の95%がリモートワークのIT企業の研修に参加したのですが、その企業の方々は「週に一度は人に会いたい、悩みやプロジェクトの進捗状況などを直接擦り合わせる場がほしい」とおっしゃっていました。そこであらためて、学校としての価値は、やはり「人が集まること」なのだと思いました。私が徳田先生を信頼していて、また上田先生から私が信頼されているというような関係作りを、我々教員も学ぶ場所なのだと思います。また生徒にとっても、極論、1人で学ぶのであれば別に学校でなくてもいいわけです。


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キャンパスという言葉の語源は、「平らな場所、開けた場所」という意味です。関西学院のキャンパスにさまざまなバックグラウンドを持つ人々が集り、学び合う関係、高め合う関係を築いていくことこそが、学校の存在意義だと思います。授業のスタイル上、教員は生徒と向かい合うことが多いですが、気持ちとしては同じ方向を向いて、生徒と一緒に学べる関係でありたいなと思っています。それゆえに、生徒だけでなく、教員も職員も学び続ける存在でないといけない、つまり学校に集う以上は誰しもが学びの主体であるべきだと思っています。一緒に学び合うという意味では、コロナ禍は辛かったですね。生徒たちも、先生たちも何を考えているのかがわからなかったですから。


徳田 探究型カリキュラム教育のスタートがコロナ禍でしたもんね。


西室 はい、本当に大変でした。




FGI通じてあらためて感じた思い


西室 雅央 まずはこの機会を与えていただいたことに感謝しています。その上で、普段考えていることを言語化することの大切さを痛感しました。先生方の思いを聞けたのも嬉しかったですし、自分の思いを共有できたことも嬉しかった。そして、「言った以上、やらなあかん」と気合いが入りました。関西学院が掲げる"Mastery for Service"は、Masteryに主があるべきだと思っています。forは「~のために」や「~に向かって」という意味などがありますが、それぞれの場において大切なもののために、理想に向けて、ますますMastery、つまり自分を磨いていかなければ、と思いました。


徳田 有希子 この企画に参加させていただきありがとうございます。今回、あらためて自分が置かれている環境がいかに恵まれているのかがわかりました。探究型カリキュラム教育に関していうと、教員同士で悩みながら一緒に考えて作り上げていくという作業が、教師人生の中で非常に新鮮で楽しかったです。もちろん成長させてもらった部分もありました。私は社会科の教員であり、旅が好きで、勉強が好きで、現場の声を聞くことが趣味のようになっているので、得た情報だけではなく、自分なりの考え方や感じ方も含めて生徒に伝えることで、教室で刺激を与え続けていきたいと思っています。


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上田 篤志 大前提として、関西学院の仲間でいれられることが本当にありがたいことだとあらためて思いました。キリスト教主義教育にしても探究型教育にしても、学問の本質に、教員が時間を割いて生徒たちと一緒に向き合えるということは贅沢なことだと思います。それができるのは、やはり関西学院大学へ生徒を送り出すことができるからです。だからこそ「なかなか鋭いね。さすが高等部生だ」と大学の先生方に心地よい刺激を与えられるような生徒を送り出していきたいと思っています。私自身、関西学院大学出身で、関学での学びが礎になっているので、自分自身を高め、一流の研究者を目指していく中で、生徒たちにアプローチしていく立場でありたいと思っています。


田中 章雅 私の大学時代の恩師も関学中高出身の方で、大きな影響を受けました。やはり教員は生徒のロールモデルだと思うのです。ですから、今の生徒たちが、当事者としてこれからの社会をもう一歩良くしていくために必要なことを伝えていきたいし、少しでも学んでもらいたいです。私は数学科の教員です。関西学院大学時代のゼミの先生も、中学の理科の先生も、「科学を学んでいくとキリスト教や神の存在を信じないわけにいかない」と仰っていて、その言葉に感銘を受けました。高等部で今、学んでいる生徒たちが大学に進学し、次代の研究者になって世界をより良くしていく。「自分たちが学んだことを、世界のために、世の中のために役立てる」という関西学院が絶えず回してきたサイクルを、今後も継続させていくための一助となればと思っています。


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